茶室「徳心庵」開設10周年記念行事、2日目の5日には、平安女学院大学 伝統文化研究センター所長・特任教授であり、裏千家の茶人でもある関根宗中先生と純子夫人をお迎えし、講演、茶道デモンストレーション、そして呈茶のひとときが催された。
静寂の中にも温かさのある茶の世界に学生たちは深く魅了され、会場には学びと感動が満ちていた。
その余韻さめやらぬ中、学生記者のアルミタが関根先生にインタビューを行い、おもてなしの心、茶道の世界、そして、関根宗中先生の経験、人生を伺った。
■「おもてなし」とは、本来どのような心構えで行うものでしょうか?
アルミタ:先生、本日はお忙しいところ、インタビューをお受けいただき、誠にありがとうございます。大変、恐縮ですが、早速インタビューをさせていただきます。
最近は「おもてなし」と聞くと、しっかりしなきゃ・完璧にしなきゃと感じてしまう人も多いと思いますが、先生にとって本来の「おもてなし」とは、どのような心構えで行うものだと思われますか?
関根先生:おもてなしというのは、おもてなしを誰かに“委ねる”ものではないのです。ホスト側がお客さまに対して、自分の心を自らの行為で示すことですね。それが本当のおもてなしです。この心は茶道から始まりました。すべてを“自分で行う”ことが基本なんです。 お客様のために、すべてを自分の手で、心を込めて準備し、お迎えする。“思いやりの心”の表れです。料理もホテルやレストランにお連れするのではなく、手料理、お土産も高価なものでなくてもよい、心のこもったものを用意することです。
つまり、おもてなしとは形ではなく、相手を思いやる気持ちそのものなんです。ですから、茶道の大成者・千利休はおもてなしのこともあって、お客様は3人から5人までとしています。
アルミタ:なるほど……“自分の心を行為で示すこと”が本来の姿なのですね。形ではなく、心そのものだという先生のお言葉が、とても胸に響きます。
また、手料理や心のこもった準備など、身近な行為の中にこそおもてなしがあるのだと改めて感じました。千利休が人数まで示していたという点も、とても興味深いです。
■ お客さんが失敗した場合、注意するべき? 見逃すべき?
アルミタ:なるほど……相手を思う気持ちが中心にあるのですね。
では、少し実践的なお話も伺いたいのですが、社会ではミスに対して「注意する」「見逃す」という判断がよくあります。
茶道の場でお客さんが手順を間違えた場合、そのままにするべきなのか、それとも正した方が良いのか──“和を保つ”という観点から、茶道ではどのように考えられているのでしょうか?
関根先生:茶道では、亭主もお客様も“自分はまだ未熟だ”という気持ちで、お互いが慎む心、謙虚な精神で向き合うことを大切にしています。茶道では、「客の麄相は亭主の麄相」と言って、これは、お客様が何かを間違えたとしても、それは亭主側が至らなかったから起きたことだという「慎み深い」考え方です。
その逆も言えるのです。ですから、相手の失敗を指摘するのではなく、その場を自然に凌ぐいでゆく、お互いにカバーし合いながら、穏やかにその場の空気を整えていく。
こうした「亭主の心は客の心、客の心は亭主の心」が“和”を成立させるのです。
アルミタ:お客様の失敗も、亭主側の心配りの不足と捉えるという、茶道ならではの深い考え方にとても感銘を受けました。
相手を責めるのではなく、お互いにそっと支え合い、その場の“和”を保つことを大切にするという姿勢が、とても美しいと感じます。
失敗を正すよりも、その瞬間の空気を穏やかに整えていく——まさに茶道の精神そのものなのだと学ばせていただきました。
■「引き算の美学」を内面で実践するには?
アルミタ:茶道には「引き算の美学」があると感じます。たとえば、掛け軸やお花が一本など、必要最小限の中に美しさを見いだすことが多いですよね。
そうした中で、内面における“引き算”を実践するためには、どのような心構えを大切にすればよいでしょうか。また、何を手放すことが大切だとお考えですか?
関根先生:内面における“引き算”のためには、常に簡素や質素をこころがけることでしょうね。豪華絢爛とは逆の方向を見つめることです。さて、引き算の美学は間違っていませんが、私は“足し算”の美学もあると思います。お茶の世界を外から見れば、どんどん引き算をしているように見えるかもしれません。確かにそうです。
でもお茶は、引き算の後に少しずつ気持ちを“盛る”という足し算も茶人の楽しみです。ただ、大切なのは、何事も“やりすぎない”こと。『過ぎたるは及ばざるがごとし(過不及)』という言葉の通り、やりすぎも、足りなさすぎも良くないのです。
何事もほどほどというのでしょうか。“中庸”や“中和”の心が、茶道の美しさだと思います。
アルミタ:引き算だけでなく、そこに少しずつ“気持ちを盛る”という足し算もあるというお話が、とても印象的でした。
ただ減らすだけではなく、しかし決してやりすぎない——その“ほどよさ”を大切にする姿勢は、まさに茶道ならではの美しさだと感じます。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉が示すように、引き算と足し算の間にある“中庸”の心が、内面の静けさと美を生むのだと深く納得いたしました。
■ 茶道を学び始めてからの生活や考え方の変化について
アルミタ:茶道は、所作やお点前だけでなく、日々の暮らし方や心の在り方にも影響を与えてくれるものだと感じます。
先生ご自身は、茶道を学び始めてから、考え方や生活の面で、以前とどのように変わったと感じられますか?
関根先生:日本人には“5S”と呼ばれる心性があります。整理(Seiri)、整頓(Seiton)、清潔(Seiketsu)、清掃(Seisou)、そして躾(Shitsuke)の5Sです。茶道の教えでもあります。もちろん、これらをすべて完璧に実践するのは簡単ではありません。 でも、少しずつ意識していくことで、自然と生活の中にも変化が生まれてきます。
私もお茶を習い始めてから、徐々にですが、以前より無駄を減らし、丁寧に暮らすようになりました。 物の置き方や空間の使い方を整えることで、心も落ち着いてくるんです。だから
私の書斎や研究室もわりときれいなんですよ(笑)。
そんなところにも、茶道の教えが少しずつ染み込んでいるのかもしれませんね。
アルミタ:「5S」の考え方が、茶道の教えとして日常の中にも生きているというお話が、とても印象的でした。
ものの置き方や空間の使い方を整えることで、心まで落ち着いてくるという先生のお言葉に、深く共感いたします。
書斎や研究室が“わりときれい”という何気ない一言にも、長い年月をかけて培われた茶道の心が自然とにじみ出ているのだと感じました。
■ 茶道を続けていく中で、「自分にとって大切なもの」や「手放せたもの」はありますか?
アルミタ:茶道は、作法だけでなく、人としてのあり方や心の持ち方にも深い影響を与えるものだと感じています。
そのような長い時間の中で、先生ご自身にとって「大切になったもの」や、逆に「手放すことができたもの」があれば、お伺いできますでしょうか。
関根先生:茶道を続けていく中で、一番大切に思ったことは“人”との出会いですね。茶道は一期一会の教えを大切にします。
お茶というのは、ただ作法を学ぶだけではなく、また趣味の範囲を超えて、人と関わる中で自分を磨く“己事究明”とか「人格の陶冶」ということが、徐々に、また自然に備わってくるという面があります。このことが、お茶を通じて得られる一番の学びだと思います。
私にはまだまだ出来ていないので偉そうには申せませんが…。
一方で、手放せたものもありました。
それは、執着や欲のようなものです。
仏教や儒教の影響もありますが、茶道を続ける中で、自然とそうした欲が少しずつ抑制することの大切さを知ったように思います。でも、自分は本当に俗人だなあ~といつも思います。(笑)
アルミタ: “人との出会い”を何より大切にされているというお話が、一期一会の精神と結びつき、とても印象的でした。また、茶道を続ける中で執着や欲が自然と薄れていくという点にも、静かな学びの積み重ねを感じました。先生のお言葉から、茶道が人の心を育てていく道であることを改めて実感いたしました。
■ 初めて茶道に触れたときの印象は?
アルミタ:初めて茶道に触れた瞬間というのは、その後の道のりにも大きな影響を与えるものだと思います。
先生が茶道に出会われたとき、どのような印象をお持ちになったのか、ぜひお聞かせいただけますでしょうか。
関根先生:茶道入門は二十歳でした。大学でインド哲学のゼミ中に先生が突然“茶禅一味”という言葉を口にされたんです。
しかし、そんなことは、実際上はありえないと思っていました。何故かというと、茶好きの伯母の茶会への送迎で振り袖姿の若い女性たちが華やかに席に座っている光景を見ていたからです。私は『これが茶禅一味と』言えるのか……?』と疑問を持っていたのです。それがゼミの先生に向かって口をついてしまいました。即座にゼミの先生曰く『習ってから言いなさい』と。そして、その日の内に入門しました。
初めて稽古に行ったその日の先生の点前姿を見て、“これは何かありそうだ、面白い”と感じました。特に印象的だったのは、柄杓で水を汲むその所作の美しさ。『どうしてこんなに美しい所作ができるのだろう』と茶禅一味はそっちのけで驚きました。『よし、学んでみよう』と決めました。それから五十九年、茶の道を歩んでいます。
アルミタ:初めての茶会で抱かれた疑問が、実際の稽古で“所作の美しさ”に触れた瞬間に一変したというお話が、とても印象的でした。
柄杓の一つの動きから茶道の深さを感じ取り、「学んでみよう」と決意されたという体験に、先生と茶道との強いご縁を感じました。
■「これこそ茶道だ」と感じる瞬間は?
アルミタ:長い修行の中では、茶道の本質に触れるような印象的な体験も多かったのではないかと思います。
先生が“これこそが茶道だ”と強く感じられた瞬間があれば、ぜひお聞かせいただけますでしょうか。
関根先生:“これこそが茶道だな”と感じるのは、実はお茶会の最中ではないんです。
準備をしている時なんですよ。お客様をお迎えするためには、どんなに小さなことでも準備が欠かせません。ある茶会の前日、師から茶室の掃除を命じられた時でした。完璧に仕上がったと思たのですが、ピンセットを渡され、畳の目の中にある芥もとってくださいと。お茶会が始まる前の準備時間に“これぞ茶道”と思わされました。
アルミタ:お茶会そのものではなく、始まる“前”の静かな準備の時間にこそ、茶道の本質が宿るという先生のお話がとても心に残りました。
畳の目に残る小さな芥まで取り除くという細やかな心配りに、茶道の深い精神が現れているように感じます。
一つひとつの準備を丁寧に積み重ねる姿勢こそが、まさに茶道そのものなのだと強く実感いたしました。
■ 茶道が人生の支えになった瞬間は?
アルミタ:長い年月の中で、茶道が先生の人生に深く寄り添ってきた瞬間も多かったのではないかと思います。
その中でも、特に「茶道が人生の支えになった」と感じられた出来事があれば、ぜひお聞かせいただけますでしょうか。
関根先生:茶道が私の人生の支えになったと感じたのは、転職をしたときです。
それまでは国会議員の秘書をしていましたが、ある時“もう政治の世界は嫌だ。やめたい”と申し出たんです。するとその国会議員は、“それはダメだ”と言ってなかなか許してくれませんでした。
長い話し合いの末に、『3つの条件を飲めば辞めてもいい』と言われたんです。その条件の一つに「次の就職先は私が決める(君に決める権利はない)」。その就職先が裏千家でした。お茶を全く知らない人にはわからないのですが、六年間のお茶の稽古をした者には、“とんでもない。まさにお茶の真っ只中に飛び込んだような感覚でした。最初は少しの怖さもありましたが、振り返ればあのときの“怖さのようなもの”が私の人生にとって大きな支えに変化したのかも知れない。
アルミタ:政治の世界から裏千家というまったく異なる環境へと導かれた体験が、先生にとって人生の大きな転機となったことが伝わってきました。
当時の“怖さ”が、振り返れば支えへと変わっていったというお話に、茶道が持つ深い力と、先生の歩まれてきた道の重みを強く感じました。
静かに語られる先生のお話の中には、茶道の所作だけでなく、人を思う心や日々を丁寧に生きる姿勢が深く息づいていました。
一服のお茶を通して自分を見つめ、人との出会いを大切にしながら歩んでこられた先生の言葉は、私たちの心にも大きな気づきを与えてくれます。
今回のインタビューで伺った“和”の心が、これからの私たちの生き方にも静かに寄り添い、日々の中に小さな一灯となってくれることを願っています。
お忙しい中、貴重なお話をお聞かせいただき、誠にありがとうございました。

インタビューに答えてくださる関根先生
企画・取材・文:アサディ アルミタ(아사디 아르미타)
写真:ハム・テファン(함태환)
所属:日本語融合学部 ビジネス日本語専攻 韓日キャリアデザイン(釜山・韓国広報団 B&J)サークル


